2015年9月3日木曜日

《番外編》ボランティアは打算も許容している

政治の話は
この世の最も醜い
ものばかりなので、
たまには
綺麗な話もしようかな
ということで、
今日はいつもと
変わったお話をします

わたしは
ボランティア活動の
手伝い、
といっても本腰入れている
人達から比べれば
本当に微々たることしか
していませんが、
それについてです

みんな『よく分からない』
というイメージがあって
大きな誤解も
されていたりします

そこをちょっとでも
払拭できればと思います


■メカニズム

ボランティア
というものに対して
一番大きな誤解は
清廉潔白さでしょう

というか、
清廉潔白でなければならない
というある種の
イメージの強要が
あると思うのです

だから
『偽善じゃないの?』
『自己満足じゃないの?』
と疑ってかかる、
怪しいものに見えてしまう
そういうメカニズム
であると見られます

果たして
ボランティアは
清廉潔白か?

ある例をご紹介します


■ある例

これは海外で暮らす
日本人を特集した
テレビ番組だったと思います

ある日本人夫婦
なのですが、
自分達が現地の言葉を
覚えるために
どうしようかって考えた時に
『現地の子供達に日本語を教える』
という活動を
始めたそうです

こうすれば効率的に
現地の言葉を覚えられる、と

要は打算でやっているのです

『何かを学習するため』
『何かの技術を得るため』
そんな打算で活動に
参加しても良いのです

どうです?
誤解は解けましたか?


■最初の時とその後は変化する

これは余談ですが、
日本語を教えていた夫婦ですが
自分達が現地の言葉を
覚えてしまえば
活動理由は当然消失しますよね

でもその後も
続けているとのことです
『何となく』
子供達との触れ合いだったりとか
その笑顔が見られるのが良いとか
『何となく』続けているのです

偽善で始まった活動も
最終的には善とか偽善とか
そんなことに拘らなく
なっていくんですね

善とか、そんなことを
堅苦しく考えなくて良いのです

わたしも学生の時は
善や偽善で悩みましたが、
『偽善でも良いからとりあえずやってみよう』
こう考えられれば
少し楽になるのでは
ないでしょうか?


■これもオッケー

活動理由が消失したから
辞める、
という選択も
全然オッケーです

どこのボランティア団体も
慢性的に人手が
不足していると思います
打算で一時的に参加して
すぐ辞めるのでも、
団体側としては
手伝ってもらえれば御の字
というのが
本当のところでしょう


■終わりに

こうしたことを
紹介する時には
必ず言っておかなくては
ならないことですが、
沢山の団体があれば
その中に怪しげな団体だったり
詐欺団体だったり
そういうものも
あると思います

宗教の勧誘を受けるだとか
金回りがあからさまにおかしいとか
何か危険を感じた場合は
即座に辞める
という心構えは
絶対に忘れないで下さい



ではまた!


0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。